成長過程としての高校生ブロガー

高校生ブロガーに限らず、一般的な「学生〇〇」について思うことを書く。さらにいえば、

  • 下は小学生から上は大学院生まで、学生であることを公表している
  • ブロガー・投資家・Youtuber・アフィリエイターを名乗っている
  • Twitterのプロフィール欄がぎっしりで、emojiがたくさん
  • Instagramのアカウントを持っている
  • 不登校だったり引きこもりだったりする
  • noteで1500字の記事を400円で売っている
  • 自撮りを虹色の輪っかで囲った画像をTwitterのプロフィール画像に使っている
    • これマジで何なんですかね?元ネタは多分Instagramなんだけど、それを他に持ってくるのがわからない

こんな感じの人々を考えている。挙げようと思えば挙げられる特徴はまだまだたくさんあるが、これぐらいにしておく。以前の記事で扱った高校生起業家もそういう人たちに分類する。とりあえず、この記事では「学生〇〇」とまとめて呼ぶことにする。

自分はこういう人たちを「うさんくさい」と思っている。「稼げる情報ありますよ」「〜〜は時代遅れ!」という宣伝は大人もするので、そういった情報そのものへのうさんくささは除き、「学生〇〇」特有の性質が何か気になる。単純に年が近いから(意識的にせよ無意識的にせよ)気に食わないのかもしれないし、いや、おそらくある程度はそうなのだろう。「学生」というラベルで未熟さを出しておきながらいきなり人生論を語りだすとか、そういう振る舞いに違和感を感じてしょうがない。でもこれが具体的に何なのかよく表せない。上の記事から引用。

ところで、自分は高校生という若さ(それが本当に若いのかどうかは別として)を推していく行為と、若さだけで持て囃されるような風潮が理解できなくてあんまり好きではない。それによって反抗心が妙にくすぐられたので批判的な先入観を持ってしまった。

その一方で、間違いを恐れず大胆に何かを主張したり、まとめサイトを水で薄めたようなPVのための記事を毎日書き続けられたりするのはすごいと思う。このブログも客観的に読めば「うっすいぞ」と思えるが、書いている本人はそれなりに考えているし(というか思考整理が目的の一つ)、それが続ける動機になっている。自分はPVのためには書き続けられなかった。

6、7年前に「自分もブログをやってみよう」「せっかくならみんなに見てもらえるブログにしよう」と、WordPress.comでブログを書いていたことがある。ブログそのものは今も残っているが、ハッキリ言って痛いので非公開にしている。フリーのスマホアプリの紹介などをしていたようだが、内容が笑っちゃうぐらい薄いしオリジナリティがない。1ツイートに収まるような記事もある。当然そんな文章は誰も読まないのでPVも伸びず、PVをきっかけとして書き始めたために更新はすぐストップした。多分10記事も書かずにやめてしまって、また数年後にFC2ブログで再開して20記事ぐらいでやめた(こっちは閲覧パスワードを忘れて開けなかった)。むしろプラグインやデザインを弄る方が楽しかった。

投稿頻度はともかく、今のブログを放棄せずに続けられているのは、見てもらえそうだから書くのではなく、「書きたいから書く」もしくは思考を整理し(た気になり)たいから書くという内発的なモチベーションによる。もちろんPVが伸びれば嬉しいけれど、それだけがモチベーションの源ではない。間で日記をときどき紙媒体に書くようになったのも大きいかもしれない。

本題に戻る。こういった「学生〇〇」は学生以外のそれと同様ときどき炎上する。ひどい場合には住所や学校が特定されるし、それぐらい情報の取扱いが雑な人が「学生〇〇」には多い。けれどもそれで人生が詰んでしまうのはあまりに酷ではないか。成人の場合に対して、学生、特に小学生〜中学生(児童・生徒)については大人(親やインフルエンサー)が積極的に関わっている場合が多いからだ。たとえば、「ブログで人生変えた子供」を自称する中学生のツイートにはこんなものがある。

親の紹介で内海先生の講演会に行ってきました。
その内容は普段の僕だったら絶対に
興味を示さないであろうお題である、
食品と健康。みたいな
お題だったのですが、
ワクチン、クスリ、は物質的には
覚醒剤と同じ、などとても面白い話をきけてとてもいい経験になりました。

「内海先生」を知らないならばリンク先の画像を見てみるとわかりやすいと思う。「内海先生」すなわち内海聡氏は陰謀論者の医者として名が高く、いわゆる代替医療に関する本を多数出している。で、この中学生は親に紹介されて陰謀論を学習している。させられている、というべきかはわからない。探してみると母親のアカウントも見つかった。もっとも、いずれ息子はおかしな話であることを理解すると思うのだが、そうなる前に交際相手とケンカもしてしまっているようなのでやや気の毒である。

程度の差はあれ、「学生〇〇」の発言には周りの大人の影響が紛れ込んでいるかもしれない。悪い文章が垣間見えるなら、悪い影響を受けたのかもしれない。少年法的な理屈からいっても、100%本人の自己責任ではない。大人の影響を大きく受けている場合、いわばパペットである本人を叩いてもなんの解決にもならない(叩きやすいかもしれないが)。影響を受けず勝手にやっている場合でも過度に刺激すると動揺してよくわからない行為に走ってしまう。大人の真似事をしているだけの生徒に「わからせよう」とするだけムダだと思う。

昔のブログについて先に述べたが、これは立派な「黒歴史」だと思うし、インターネットの諸々を見る上で個人的にはそこそこ大きな視点の変化をもたらしている。他にもよくわからん動画をニコニコに上げたりMinecraftの「割れ」を求めてNyaa, Torrentz, The Pirate Bayをさまよったりしたこともある。uxuploaderで何度待たされ何度落胆したことか。幸いTorrentの仕組みがわかっていなかったのでロクなことはできなかった。忘れているものも多い。以前スクリプトを書いて、古いツイートを一掃した。実行中のログで流れる過去の自分のツイートを読むとやはり恥ずかしい。診断メーカーや2chまとめサイトの共有は想定内だが、ときどきネトウヨのような発言があって目を疑った。

当時は日本でスマホが普及する前で、Twitter人口もいまよりずっと少なかったので晒し上げられることなくただ一人で変なことを言っていられた。周りの(年上の)ユーザーにもそういう観点においては恵まれていたのかもしれない。意図してなのかたまたまなのかわからないが、基本は放っておいてくれて、まれに「そのサイトはやめといたほうがいいよ」と教えてくれるぐらいだった。そのまま数年経つなかで自然と内省していろいろわきまえるようになっていった。

大人の影響関係があろうとなかろうと、彼らも後々内省のフェーズで彼ら自身の「黒歴史」と向き合って変わっていくかもしれない(大人はどうだろう?)。いま見ているものは彼らなりの学習プロセスかもしれない。そう考えるとむやみに「学生〇〇」を晒し上げたり、リツイートなどで晒し上げに加担するのはやめようと思える。以前何度かやっていた記憶があるので、これからは。

犯罪を働いていて被害者がいるなら訴える。利用規約・公序良俗に反しているなら自分がしたようにプラットフォーマーに相談・通報する。そうでないなら、そっとしておく。「わからせる」んじゃなくて、わかるようになるまで待つ。どうしても言いたくなっても(そんなことあるのかな)、盛り上げることなく落ち着いて指摘したい。

逆に「学生〇〇」な人も、Instagramに自撮りを上げるときに周りを気にしたり、住所を言わないとかそういうリテラシーを学んだり、極端な言説・やたらとうまい話に対しては慎重になったり、そういう方向に向かって歩むのに抵抗を抱かないようになればいいと思う。

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