CAHと英語

Cards Against Humanity(CAH)というカードゲームがある。ざっくり言えば「趣味の悪い大喜利」だ。ターンごとの審判役が問いかけのカードを引いて、他のプレイヤーが手札からもっともそれっぽいのを出し、審判役の主観で一番面白いのを決める。カードの例は、公式サイトを見てほしい。

アメリカに行ったときに 衝動買い ドルを使い切るために買った。とりあえず遊び相手になってくれそうな寮生でやってみた。英語に自信のない人もいたので心配だったが、結果としてすごい楽しかった。それ以来ときどきやるようになって、毎回毎回よく笑えている。これまでに7,8回プレイした。

でも、なんでこんなに面白いんだろう? とりあえず以下のような理由を思いつく。

まず、CAHそれ自体が面白いから。実はいろんなところで高い評価を受けている。実際にやってみると、わりとどうやってもなんとかそれっぽく面白い回答が作れる。審判役の独断で決めることにすれば、争いの余地がないし(そもそもこんなゲームでどうやって争うんだよ)、それによって駆け引きっぽいこともできる。アウシュヴィッツ送りとバイアグラ漬けならどっちがいい?

次に、プレイヤーが面白いから。英語のカードゲームやろうぜ〜と言われてノッてくる奴なんかそうそういない。やはりグローバル高専の名は伊達じゃない。筆者も筆者の友達もこういうネタが好きなんだと思う。マジメそうな人を誘ってみたい気もするが、ちょっと気が引ける。相手を間違えると大変なことになるので、ここだけは人道的にやったほうがいいのかも。

あとちょっと違った角度で考えてみると、解釈の自由さがあるから。これは上2つに比べればややわかりづらい。英語で、それもスラングモリモリの文章を、非ネイティブが読むのははっきり言ってしんどい。Google画像検索とDeepLを駆使してもわからないときはある。だいたい難しいカードが来たときに限ってネットにつながらない!…そんなときは勝手に解釈するほかない。幸いなことに、誰も正しい解釈を知らない。

配慮されているものの、厳密に考えれば組み合わせた品詞がちょっと合わなかったり、面白いのを見つけても微妙にニュアンスがずれてしまうことがある。しかし日本人にはそんなことを考える余裕がないので、どんどんこじつけてなんとか回答を作り上げてしまう。その結果大喜利の幅が広がって、もっと面白くなる。ヘタすると “Gandhi” (ガンジー)を “grand he” とか勝手に分解し始めて、「大きな彼…?おじいちゃんのことか!」と言い出したり、ゲームをするたびに同じカードなのに意味が変わっていったりする。

逆に言えば、英語のカードゲームをして英語に強くなろう!という目論見は外れるだろう。外人には通用しない謎のこじつけ能力だけが育っていく。何度もやっているとカードに書かれているロクでもない単語を少し覚えてきた。役に立ったことはほとんどない。Women suffrage (女性参政権)ぐらいか?

あるいは非母語を使うことである種の「浮遊感」のようなものを得られるのかもしれない。外山滋比古か誰かが言ってた気がする。海の向こうでこんなアホみたいなカードゲーム作って売りさばいている人がいるのがもう面白いし、そんなのに比べたら多少趣味の悪いことを言っても許される気がしてくる。


ちなみに、ローカルルールというほどではないが、アメリカ人にしか通用しないのが明らかな人名や商品名があるので、そういう手札はいつでも捨てていいことにしている。これから買う人にはInternational Editionをおすすめする。

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